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ドアをノックする音で目が覚めた。智之さんのベッドで横になっていた僕は、すぐに起き上がってドアを開けた。
「今さっき、帰ったから。」
少しベッドで泣いてしまった僕の顔を、智之さんは申し訳なさそうに見た。ふんわりと温かい腕で抱きしめられて、止まったはずの涙がまた出そうになった。
「ごめんね。」
「…どうゆう意味で…謝ったの?」
抱きしめられている智之さんから抜け出して、『ごめんね。』の意味を問いただした。
「昨日の夜、僕を抱いてしまった事?撫子さんという婚約者がいた事?それを黙っていた事?……それとも全部?」
「違うんだよ。」
「何が違うの?僕は……昨日智之さんに抱かれて、嬉しかった。好きとか言われたわけじゃないけど、僕の事好きだから抱くんだと思ったんだよ?僕は、智之さんのこと…が、好き……だって分かっ…たのに……。」
最後の方は、喉がしゃくりあげてちゃんと言えなかった。どんどん目から涙が出てきて、目の前にいる智之さんが霞んで見えた。
力強く腕をつかんで、智之さんはしっかり僕の目を見た。
「翔くん。私の言うことを聞いてくれないかい?」
「………うん。」
ベッドの端に座らされて、智之は膝立ちで僕との視線を合わせて話し出した。
「確かに今さっきまで来ていたのは私の婚約者なんだけどね。」
「やっぱり……。そうだったんだ。」
「とりあえず最後まで聞きなさい。婚約者なんだが、それは親同士が決めているだけだよ。私は親から独立していた時点で、婚約も解消してもらっているのだけど、撫子さんが断っているのだよ。私は撫子さんを愛しているわけでもないし、ましてや結婚するつもりもない。今日もその話だったんだよ…。」
智之さんは軽く溜息をついて話を続けた。
「昨日、翔くんを抱いただろう?」
「えっ……あ、…うん…。」
急に僕の話になって、恥ずかしくなってうつむいてしまった。すると顎を持ち上げられて、軽くキスをされた。
「昨日、ちゃんと言っていなかったね。もう少し翔くんが成長するのを待つつもりだったんだ。けれど弟の高之が現れただろう?思わず嫉妬してしまってね。こんな年になって恥ずかしいのだけれども、翔くんを誰にも渡したくないと思ったんだよ。」
「それは……。」
「うん。私は翔くんのことが好きだよ。」
僕が流す涙は、嬉し涙に代わっていた。
「ほんと…に?」
「本当に。翔のことを、愛してる。」
『胸がズキュン』とは、このことを言うのかな…。
真っ直ぐな眼差しの智之さんはすごくかっこ良かった。思わず見惚れてると、苦笑いをされていしまった。
「翔くんは…私の事、どう思っているのかな…?」
「僕も…、僕も智之さんのことが好き。愛してる!」
「ありがとう。」
まだ明るい陽射しの中で、僕達は2度目の…心が通じ合ってからは初めて身体を繋げた。
#
智之さんが会社に出かけていった後、僕は慌しく学校へ行く用意をしていた。いつもより少し寝坊してしまったのだ。すべて用意をして部屋の戸締りを確認した後、早足で学校に向かった。
マンションのエントランスから外に出たとき、声をかけられて止められた。
「ねぇ、ちょっと!」
声の主を探すと、マンションの入り口の横に立っている撫子さんを見つけた。軽く頭を下げる。
「智之さんなら、もう会社に行きました……。」
撫子さんが会いに来るのは智之さんだろうと思っていたから、僕はそれだけ言って立ち去ろうと思った。
「あなたに用事があるのよ。」
「学校行かないといけないんですけど。」
「すぐに済むわ。」
断るなんて許さないわよ…ってな雰囲気で、僕は頷く事しか出来なかった。
撫子さんにつれてこられたのは、駅前の喫茶店。向かい合わせに座って、僕は撫子さんから話すのを待った。
「あなた、いつから智之さんと暮らしてるのかしら?」
「…2週間ちょっと…ですけど。」
「……いい加減に出て行ってくれない?」
「どうゆう…意味、ですか?」
なんでこの人に、そんなことを言われなくちゃ…。
「私は智之さんの婚約者なのよ?あなたがあそこに住んでるせいで、なかなか智之さんが会ってくれないし、私が家に行けないじゃない。」
「でも!…智之さんは撫子さんとは婚約解消してるって…。」
「……本当にそんな言葉信じてるの?呆れたものね。そんなのあなたが可哀相だからに決まってるじゃないの。拾われたんですものね、あなた。」
「えっ!?」
どうして…撫子さんが、知ってるの…?
僕は…可哀相な子…?
「智之さんが教えてくれたのよ?あなたが可哀相で拾ったのは良いけれど、懐いてしまって追い出すことが出来ないって。しょうがないからもう少しだけ家に置いておくって。あなた、智之さんに迷惑をかけているのよ?言われる前に、あなたから出て行って。」
撫子さんの強い視線に耐えられなくて、挙動不審のように目がキョロキョロと動いてしまう。不意に撫子さんが立ち上がった。
「いい?ちゃんと出て行ってちょうだい。」
テーブルの上に置かれているレシートを掴み取って、撫子さんはレジでお会計をした後、僕の方を振り返りもせず喫茶店から出て行った。
昨日の智之さんの言葉を信じることが出来たら良かったけれど、撫子さんの言葉に打ちのめされてしまった僕の頭の中からは、智之さんの言葉は消えてしまっていた。
昨日、智之さんは僕に何て言ってた?
思い出そうとすると、撫子さんの言葉しか浮かばない。
僕は…邪魔?
家に…いたら、駄目?
智之さんの側に、いたら…駄目?
出て行かないと………駄目?
結局、学校をさぼってしまった僕は、上の空で夕食で作りながら智之さんの帰りを待った。
けれど…、その日、智之さんは帰ってこなかった。
03/03/10up