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夕食が食べ終わりに近づいた頃、僕は思い切って智之さんに聞いてみた。
「あの…僕は、いつまでここにいてもいいの?そろそろ2週間になるし、いつまでも居てると智之さんに迷惑かかっちゃうし。」
「………。」
「それに辞めるにしても高校にも一度、顔を出さないといけないと思うんだ。」
「翔くん、よく聞いてね。」
智之さんはそう言って、いつも会社に行くときに持っていく鞄の中から、一つの茶封筒を取り出した。その茶封筒の中から3枚の紙を僕の前に置いた。
「これは?」
「これが返済完了しましたって紙。この薄緑色の紙は余分な返済分を返しますっていうことが書いてあって、残りの一つは、もう翔くんに関わらないってことが書いてある。」
僕は智之さんが何を言っているのか、全く予想がつかなかった。きょとんとしていた僕に、智之さんは苦笑しながらもうちょっと簡単に説明してくれた。
「翔くんが言ってた借金はもうないんだよ。翔くんは…太刀の悪い金融会社に騙されたいたんだ、翔くんのお父さんも。ちゃんと余分に取られていたお金も取り返して、翔くんの名前で銀行の通帳に入れといたよ。それにもう借金取りに追いかけられることもないし、高校の方にも電話をして休み扱いにしてもらっているから、来週からは行くことが出来る。生前お父さんが高校の学費は全部出していてくれたようだったしね。……はい、これ。」
茶封筒から某銀行の僕名義の通帳が出された。智之さんに渡されてそっと開くと、そこには2千万という数字が記入されていた。
「智之さん…これは…。」
「翔くんのだよ。大事に使いなさい。」
「どうして…?」
どうして、ここまで僕に優しくしてくれるの?
たまたま倒れこんでいた僕を見つけただけなのに。
そんなに優しいと、僕は…。
そんな風に笑いかけられると、僕は…。
「翔くんがほっとけないからね。私が好きでやったことだから、翔くんは気にしなくていいよ。」
僕は嬉しくて目がジンジンしてきた。涙が出てくるのを見られたくなくて、俯いて僕は智之さんにお礼を言った。
「…っ。…ありが、と…。」
頭に智之さんの温もりがある手がおかれて、そっと撫でられた。昔お父さんに撫でられたときと、同じ温かさだった。手が離れたとき、僕はさっき聞いていたことを思い出した。
「じゃあ…本当に…ここにいる理由がなくなっちゃった…。」
「翔…くん?」
「だって…そうだよね?僕は行く所がなくて、わざわざ智之さんの所にお世話になっていたけど…もう出て行かないと。いつまでも迷惑かけられないし。」
「翔くん、私の話はまだ終わってないよ。」
「………?」
にっこりと微笑まれて、僕は心臓がドキッとはねたような気がした。
ん?
何?
今の…。
ドキッて。
気のせい?
気のせい。
気のせい…だよね…。
「今から高校も通うし、住む所探さなといけないし、このまま私と一緒に暮らさないかい?」
智之さんの口から、とんでもない言葉が出た。僕は信じられなくて智之さんの顔をまじまじと見つめてしまう。
「そんなに可愛い目で見つめられると恥ずかしいんだけどね。」
「ごっ…ごめんなさい!」
クスクスと笑われて、慌てて僕は下を向いた。そんな僕の様子を笑いながら智之さんは言葉を続けた。
「暮らしてもいいよ…と言うよりも、暮らして欲しい。翔くんが来てから、家に帰ってくるのが楽しみになったんだよ。ドアを開けると夕飯を作って待っててくれる翔くんが『お帰り』と言ってくれる。私は不器用だから…今までどうり家事全般を住み込みのアルバイトとしてやらない?ちゃんと住むのなら、私の隣りの部屋が空いているから、そこを翔くんの部屋にするといい。」
「でもっ…!」
「頼んでいるんだけれども…それでも駄目かい?」
僕に断る理由なんて、どこにもなかった。
「……こちらこそ、お願いします。」
僕がそう言ったときの智之さんの笑顔に、僕はさっきと同じように心臓がドキドキしてしまった。
この気持ちは…なんだろう。
2週間ぶりに僕は高校に登校した。
こっそりと後ろのドアから教室に入ったけど、教室に居るみんなの視線が痛々しく刺さった。気まずい思いをしながらも、自分の机に座ってチャイムが鳴るのを待った。
「深尾。席がえしたから、君の席は俺の隣りだよ。」
「あ…委員長。席がえ…したの?」
「ほら、こっち。後ろから2番目の窓側席。いい席だよ。」
委員長はクラスでも唯一僕にまともに話し掛けてくれる。委員長に教えられた席に移動すると、ちょうどチャイムが鳴り響いた。僕は小さな声で委員長に御礼を言った。
「委員長…ありがとう。」
「どういたしまして。」
委員長のニコッと笑った顔に、思わずつられて笑ってしまった。学校で笑うなんて…いつぶりだろう。
お昼休み、僕は朝作ってきたお弁当を持って屋上への階段を上っていた。みんなの視線が突き刺さる中で食べることは、僕にとって苦痛でしかなかった。屋上への扉を開くと少し肌寒い風が僕の横を通り抜けていった。夜みたいな寒さはなかったけれど、ここでお弁当を食べようという人は一人もいなくて、僕は安心して屋上の作にもたれかかってお弁当を食べ始めた。
「智之さん…食べてくれてるかなぁ…。」
朝に自分のお弁当を作っていると、智之さんも作って欲しいと言ってきたから作ったんだけど…。普通の料理と違って冷めてるし、智之さんの口に合うかどうかちょっと心配。
ボーッとしながらタコさんウィンナーを食べてると、隣りに誰かが座ったことに全然気付かなかった。
「…尾…?深尾?」
「えっ?あっ、いぃ…委員長。」
「そんなに驚かなくても…何か考え事でもしてた?」
クスクスと笑いながら僕の返事を聞かずに、委員長は買ってきたっぽいパンを開けて食べ始めた。何も話し掛けてこなくて、つい僕から声をかけてしまった。
「委員長は…どうしてここに来たの?」
「教室が煩すぎてね。何度か屋上に来てるんだけど、今日はたまたま深尾がいただけ。」
「…ごめん。」
僕が「どうして?」なんて聞く前に、委員長は僕よりずっと前から屋上で食べてたんだ…。
「あはは…謝らなくてもいいよ。それよりどうしてみんな、委員長って呼ぶのかなぁ。」
素朴な疑問。
「クラス委員長だから…じゃないの?」
「委員長って呼ばれるの、好きじゃないんだよね。深尾さ、俺の名前知ってる?」
………。
知らない…かも…。
答えられなくて目を泳がせていると、横から手が伸びてお弁当箱に入っていた卵焼きを取られた。
「高之(たかゆき)。永瀬高之(ながせたかゆき)。」
「永瀬くん…。」
「高之でいいよ。俺も深尾のこと、翔って呼ぶし。」
「う…うん。」
昼休みの間、僕は委員長といっぱい話した。今度一緒に遊ぼうと言われたけど断った。
「いつでもいいから。」
「うん…。でも、僕、働いてるから。」
「え?」
「少し前から住み込みで働かせてもらってるんだ。家政夫みたいなものだけどね。」
「そっか。じゃあ、暇があったら言って。」
委員長はチャイムが鳴る少し前に、教室に戻っていった。
どうして僕が住み込みで働いているか聞いてこなくて良かった。お父さんが死んじゃったなんて…言いたくない。いくら声をかけてくれる委員長でも、深入りされたくない。誰にも深入りされたくない。智之さんが僕のことを分かってくれるなら、それでいい。
03/02/20up