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「それは…、言えません……。」

 

「………どうしてだい?」

高山さんは怒ろうともせず、優しい口調で聞いてくれた。その声に思わず話してしまいそうになったけれど、その言葉を慌てて引っ込めて違う言葉を出した。

「言えないんです。助けてもらってなんて奴だと思うかもしれませんけど…。あの…お医者さんの診察代とか払う事が出来ないんですけど、いいですか?」

「知り合いの医師だから、気にしなくてもいい。それより…」

「僕、ここから出て行きますね。これ以上、迷惑かけること出来ないので。本当にありがとうございます。」

高山さんの声を遮って僕はここを出て行くことを告げ、ソファから立ち上がった。高山さんに深々とお辞儀をして、ここから見える玄関への廊下へと歩き出した。

「待ちなさい。」

歩き出した僕に追いついて、高山さんは僕の腕をしっかりと掴んだ。少し引っ張ったぐらいじゃ、びくともしない。

「離してくれませんか?」

「そんなパジャマ姿でどこに行くんだい。」

「それは……。」

「私には聞く権利があると思うんだが。」

高山さんの目は、穏やかそうに見えて力強い。僕は、その目に…負けてしまった。

 

ソファに逆戻りになった僕はお父さんが死んで、借金が残って、ヤクザのお兄さんに捕まった所を逃げてきたことを隠さずに伝えた。死のうと思った事も正直に話してしまった。

「一人で怖かったんだね?辛かったんだね?」

高山さんの言葉が僕の心の中に染み込んでいった。自然と、涙が頬を伝っていた。

「もう大丈夫だからね。」

お父さんが死んでも泣かなかったのに。どうして今ごろ、悲しいんだろう…。どうしてこんなにも、悲しいんだろう…。

ふわっと温かいものに体が包まれた。涙でぼやけた視界には、高山さんの胸がすごく大きく映っていた。

 

この温もり…安心する。

これは……、そうだ、あの時の。

お父さんだと思ったこの温もりは、高山さんのだったんだ。

 

「翔くん。帰るところがないんだったら、ここに住めばいい。」

「………え?」

抱かれたままで言われたから、高山さんがどんな表情をしていたのか分からなかった。

「当分、ここに住みなさい。」

「……同…情……は、いらない…です。」

「同情なんかじゃないよ。」

「でも…。」

高山さんは抱きしめていた僕の身体を離して、僕の目を見て言った。

翔くんは。料理や掃除は得意かい?」

いきなりそんなことを質問されるとは思わなかった。

「…?はい。ずっとお父さんと2人きりだったので、僕の役目みたいなものだったから得意と言えば得意ですけど…。」

「じゃあ、こうしよう。翔くんはここで住み込みでアルバイトをすればいい。借金のことは私の方から金融会社に伝えておくから、心配することはない。」

すべて私に任せなさい…そう言ったときの高山さんの目は、信じてもいいような気がした。何故か高山さんの目は説得力があって、信じてしまう。

 

その後、今日は作らなくていいよ…と高山さんが買ってきたらしい夕飯を食べながら、たくさん話をした。高山さんは、そんな僕に付き合って色々答えてくれた。

「高山さんは、サラリーマンなんですか?」

「そうだね。翔くんが寝ている間も会社に行ってたんだけど、心配だったんだよ。今日は日曜日で家に居たけれど、明日からは会社に行くから留守はお願いできるかな?」

「もちろんです。お世話になるのに、留守番ぐらい出来ます。」

「よろしく頼むね。お金が必要なら、そこに引き出しにいくらか入ってるから。」

 

高山さんは今、29歳のサラリーマン。

このマンションからすると、きっと普通のサラリーマンに比べたら、お金持ちなのかも…。

両親と僕と同い年の弟がいてるらしいけど、高山さんは一人暮しをしているみたい。

僕の服は弟さんのここに泊まるときの服がいくつかあるみたいだから、それを着てもいいって。

 

「翔くん、高山さんって呼ぶのはやめないかい?何だか一緒に住むのに他人行儀だしね。」

「あ…、はい。じゃあ…智之さんで、いいですか?」

「そうしてくれるとありがたい。ついでに敬語も使わなくていいからね。」

「えっ?そうゆうわけには…。」

「いいよ。翔くんは高校一年生だったよね?15歳?16歳?」

「あ、もう16になりました。」

「13も年下の子に敬語を使われるのも堅苦しいしね。それに…私のことはお兄さんだと思って欲しいな。」

僕は『お兄さん』という響きにドキドキした。一人っ子の僕は『お兄さん』という存在に憧れを持っていたから。

そして智之さんとの生活が始まった。

 

 

 

 

智之さんは朝は8時半ごろに家を出て、夜は10時ぐらいに帰ってくるのが普通だった。時折、会議で早く家を出たり、残業で遅く帰ってくることもあった。会社のことを聞こうとする度に上手くはぐらかされるから、僕は智之さんがどこに勤めてどんな仕事をしているかは、全く知らなかった。僕になんて言いたくないのかも知れないと思って、少し寂しくなった。

 

「今日は何を作ろうかな…。」

智之さんが金融会社に何て言ったのかは分からないけど、僕はあれから外に出歩いても探されてないみたいだったし、ましてや追いかけられることなんてなかった。智之さんが休みの日には、僕を連れて服を買いに行ったりしてくれた。それなのに、住み込みのアルバイト代で一日食事の用意と、掃除と洗濯、それで5千円も貰える。初めは1万円と言われたんだけど、いくらなんでもそんなに貰えない。ここに住まわしてもらってるのに…。

智之さんは食事は出来るだけ一緒に食べようと、会社が終わるとすぐに帰ってきてくれた。おかげで僕は毎日何を作ろうか、近くのスーパーで悩ませる日々だった。

 

智之さんの側は心地いい。

けれど…、いつまでここに居れるのか分からない。

いつ出ていかなくちゃ分からない。

出来るだけ、覚悟しとかないとね。

 

玄関の鍵が開く音がして、キッチンで夕飯の用意をしていた僕は、タオルで手を拭きながら玄関に向かった。

「ただいま。」

「お帰り!今日は早かったね。まだ作りかけなんだけど、もうちょっと待ってくれる?」

まだ9時前で、僕はまだ夕飯の支度が終わってなかった。智之さんから敬語を使わなくてもいいと言ってくれたから、僕はそれから気楽に話し掛けることにしたのだ。

「いいよ。今日は私も手伝おうかな。」

「駄目駄目!僕の仕事なんだから。智之さんはゆっくり休んでてよ。出来たらすぐに呼ぶからさ。」

キッチンに入ろうとする智之さんを押し出して、僕は火を掛けっぱなしにしている鍋のところに戻った。後少しで出来上がる。

 

出来上がった料理をお皿に並べて、智之さんを呼びにリビングへと向かった。リビングに近づくに連れて、智之さんが誰かと携帯電話で話しているのが聞こえてきた。

リビングの入り口でどうしようかと迷っていると、僕に気付いた智之さんが軽く携帯電話の話すほうを手で押さえた。

「翔くん。すぐに終わるから、先に食べててくれるかい?」

「…うん。」

すぐにまた携帯電話で話し始めた智之さんを後にして、僕はキッチンへと戻った。けれど、一人では食べる気がしない。一人で食べる食事は美味しくない。お父さんと暮らしているときは、そんなこと思いもしなかったのに。僕は智之さんが電話を終えるのを待った。

 

「すまなかったね。」

10分ぐらい経ってから、智之さんはキッチンへと入ってきた。僕は少し冷めてしまった料理を温め直し始めた。

「翔くん、先に食べなかったの?」

「……僕が勝手に待ってただけだから。」

「ありがとう。」

智之さんが嬉しそうに笑ったから、僕も嬉しくなった。僕は…智之さんに惹かれてしまっている。男らしくて自分1人ででも生きていける智之さんが羨ましいと思った。

温め直した料理を智之さんと一緒に食べた。二人で食べると、やっぱり美味しい。こんな二人で食べる夕食は、後何回かな?

 

 

 

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03/01/31