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俊平さんの所に住まわせてもらう筈が、僕はその日の夜には智之さんの家へと連れ戻されていた。
「もう目の前からいなくならないと約束して。」
智之さんは僕をぎゅっと抱きしてめて、苦しそうにかすれた声で搾り出すようにいった。
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その数時間前。
「いつまでも居て良い。」と言ってから俊平さんは仕事ですぐに出かけていってしまい、僕は何もすることがなくて、あんまり人の家をウロウロするのも悪いかと思って、リビングにあるソファに体育座りをして俊平さんが帰ってくるのを待ちつづけた。
――ガチャ。
「翔くん!!」
ドアが開いた音がしてバタバタと足音が聞こえてリビングへと入ってきたのは、俊平さんじゃなくて智之さんだった。
少し疲れた様子で髪も乱れている。
「え…、智之さ…ん?」
ありえない人が僕の前に立っていて、何が何だか分からなくなって呆然としてしまった。
智之さんのすぐ後ろから俊平さんが顔を覗かせる。
「あ、俊平さん…。」
「お〜ただいま〜。良い子にしてたか?」
「小さい子じゃないんだから…。」
俊平さんはリビングの入り口で立ったまま動かない智之さんの横をすり抜けて、僕の向かいのソファに座った。シュボッとタバコに火をつける音がする。
「おい、お前も座ったらどうだ?」
智之さんはその声を合図に、俊平さんじゃなくて僕の横に座ってきた。真横に智之さんを感じて、緊張して体が強張ってしまう。
どうして智之さんがここに…。
俊平さんと知り合い?
3日前まであんなに安心する存在だった智之さんなのに…今は怖い。撫子さんに言われたことを智之さんの口から聞いたら…もう僕は……。
きっと立ち直れない。
ううん…。死んでしまうかも知れない。
「翔、お前、こいつの家にいてたのか?」
声には出さずに小さく頷く。そして不安そうに俊平さんを見上げた。
「どうしてこいつがここにいるんだって顔をしてるな。」
僕はもう一度小さく頷いた。
「智之は大学時代からの悪友でな。今日いきなり電話かかってきて『翔がいなくなった。』って叫びやがったんだ。お前と一緒に住んでいたなんて聞いてなくて、焦る智之から何とか話を聞くとお前とフルネームが同じだったからつい…『そいつなら俺のところにいるぞ。』って言ったら速攻で俺の仕事先に来やがった。」
その時の状況を思い出してか、俊平さんはニヤニヤと智之さんを見て笑っている。
「俊平、うるさい。」
横に居る智之さんを見上げると、耳が少し赤くなっている。僕の視線に気付いて、僕の手を大きな手で包み込んだ。
「翔くん、帰ろう。」
「………。」
帰りたい。
帰りたい……けど。
帰れないよ…。
包まれている手からそっと自分の手を引いた。
「翔…くん……。」
「帰れない。もう…智之さんのところへは帰れない。」
決して目を合わそうとせず、視線を床に落として小さく呟いた。
「どう、して…と聞いてもいい?」
離れた僕の手をもう一度握り締めてくる。
「僕は、いずれ智之さんの邪魔になる存在だから。」
はっと息を飲む音が聞こえてくる。
やっぱり…智之さんもそう思っていたんだ。
言いだけなかっただけ。
あまりにも僕が可哀相だから…。
「馬鹿なことを言うな!!」
ビクッと肩が震える。
恐る恐る顔を上げると、今まで見たことのない智之さんの怒っている表情だった。凄く傷ついた顔をしながら怒っている。
僕が傷つけた……。
腕をつかまれて無理矢理立たされる。
「俊平。連れて帰る。」
僕はそのまま腕をつかまれたまま引っぱられるようにドアへと向かった。つかまれた腕は痛くて、熱かった。
「おい、智之。あんまり酷いことするなよ。」
「…あぁ。」
ドアが開き廊下に身体が出た後、後ろから俊平さんの声が聞こえた。顔だけでも後ろを振り返る。
「じゃーな、翔。今度は遊びにこい。」
余裕の表情でヒラヒラと手を振っている。返事をする間もなく目の前のドアは静かに音を立てて閉じられた。
僕達は一言も話さずに、智之さんの家へと戻ってきた。
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家に入ると同時に抱きしめられ、搾り出すように言葉を吐き出す智之さんから熱い、熱、気持ち、思い、溢れ出していた。
「ともゆ…き、さん……。僕は………」
力を込められて、息が苦しくなる。
胸が苦しくなる。
胸が……苦しい…。
顎を上向きにされ、深い口づけをされる。
撫子さんのことや、母親のこと、すべてが頭から消えた。
僕は両腕を背中に回して、その口づけに答えた。
「んっ……ふ……、と……ゆきさ…ん……。」
時が止まったようだった。
このまま止まってしまいえば良いとさえ思った。
「あっ……。」
唇が離れていって濡れた唇が風で冷たく感じ、深い口づけで足元がふらついて智之さんの身体にすがりついた。
03/06/20up