8話


 

 

狭山の顔を見ていられなくて、俺は校舎の靴箱まで必死で走った。やっと立ち止まっても、息が苦しくて落ち着くまでに時間がかかる。ふぅ…と溜息をついた後、思い出したかのように自転車を止めてある場所に向かって歩き出した。

狭山にキッパリと言った後も、俺の心はもやもやしたままだった。『狭山なんていらない。』と言った時、見ることが出来なかったけど狭山はどんな顔をしていたんだろう。俺に言われたぐらいで、傷つくとは思えなかった。言った俺の方が傷ついているような気分になった。

 

ポケットに突っ込んでいた携帯が震えだした。画面を見ると、母親からだった。今の俺の気分に関係なく、いいタイミングでかかってくることに苦笑した。

「はい…。」

出ようか迷ったけど、しつこく震える携帯に諦めて通話のボタンを押した。

「もー玲ちゃん。早く出てよー。今何処にいるの?」

「早く出てよって言われても…。学校出たところだけど?」

「あのね、帰るついでに長ネギと玉ねぎとごぼう、買ってきてくれないかしら?」

「はっ?長ネギと玉ねぎとごぼうぅ〜?」

「そうよ〜。お願いね。」

プチ…。

まだ買ってくるとも何も言ってないのに、一方的に頼まれて切れてしまった。俺は切れてしまった携帯の画面を見て、はぁ…を疲れるような溜息を出した。

俺の母さんって…。どこまでも我が道を行くって感じだよなぁ。俺もその性格受け継げていたら、狭山とあんなことにならなかったかも知れなかったのにな。

けれど、母親からかかってきた電話で、俺の気分の多少軽くなっていることに気付いて、少し助けられたと思った。しょうがないなぁ…と思いつつも、自転車をスーパーに向けて漕ぎ出した。

 

 

「えっと…?長ネギと玉ねぎと…ごぼう?だったよな…。ごぼう、ごぼう、ごぼう…っと。」

慣れないスーパーの中で、俺はごぼう探しに戸惑っていた。

「玲二くん?」

後ろから自分の名前を呼ばれて、ごぼうに夢中になっていた俺はビクッとなりながらも後ろを振り返った。

「未知さん!」

俺の後ろには額と右腕に白い包帯を巻いている、痛々しそうな未知さんの姿だった。

「久しぶりだね。」

「もう退院したんですか?」

「もう…って、僕が事故にあったこと知ってるの?」

「……えぇ、まぁ。」

あの時の状況を簡単に未知さんに説明した。狭山との関係を除いて、そしてあの時狭山が未知さんを選んだ事も除いた。

「ずっと気になっていたんですよ。今日、狭山から大丈夫だとは聞いたんですけど…。」

未知さんは恥ずかしそうに笑いながら答えてくれた。

「そんな心配することでもないんだよ。骨折もしてないし、ちょっと出血が激しかったけどね。それより…慎一郎と知り合いだったんだね。」

 

慎一郎…。

未知さんはとても自然に狭山の名前を言ってのけた。俺は狭山に抱かれているときしか、呼ぶ事を許されなかったのに…。

 

「どうして狭山と別れたんですか?」

つい…聞いてしまった。口が滑ったとは、まさにこのことか…と自分で納得してしまうぐらいだった。未知さんに聞くべきことじゃないはずなのに。榮一さんと付き合っているのに、今更狭山の事を蒸し返されても嫌なはずなのに。未知さんは嫌な顔せずに、答えてくれた。

「慎一郎と付き合っていたことも知ってるんだね。そうかぁ…うん。玲二くんになら話してもいいかな。玲二くんなら…大丈夫かな。」

未知さんに促されるままに買い物を済ませてから、スーパーの近くの公園に寄った。空はもう薄暗くなっていて、もう子供たちの姿はない。滑り台のそばにあったベンチに並んで座って、未知さんはゆっくりと話し出した。

 

「3年前、僕が高校生のとき、慎一郎と付き合っていたんだ。1年ぐらい続いたんだけど…僕は慎一郎を裏切って、榮一さんと付き合い始めた。

僕は小さい頃から榮一さんのことが好きで、でも榮一さんには彼女がいたんだ。ノーマルってことが分かっていたから、絶対に好きとは言わないでおこうと、心の中に僕の気持ちを押し込めていたんだ。けれど、慎一郎は気付いた。慎一郎は『俺を兄貴の代わりにしたらいい』って…。最初はビックリして断ったんだよ。慎一郎は何度も言ってきて…だんだん流されていく感じで、僕は慎一郎に抱かれたんだ。

今まで榮一さんの気持ちを我慢していた僕は、慎一郎に全部寄りかかった。慎一郎は榮一さんの代わりだと分かっていても、ずっと我慢してたんだと思う。1年ぐらいかな…そんな僕と慎一郎の微妙な関係が続いたある日、僕が慎一郎の部屋で抱かれているのを、家に帰ってきた榮一さんに見られたんだ。榮一さんは僕から目をそらして、さっき帰ってきたばかりなのに家を出て行った。僕は榮一さんに知られた事にパニックになって、慎一郎を突き飛ばして言ってしまったんだ。一番言ってはいけないことだったのに…。『僕はやっぱり榮一さんじゃないと駄目なんだ。榮一さんの代わりなんていらない。慎一郎なんかいらない!』そう言ったんだ。」

 

俺はハッと息を飲んだ。未知さんが言った事と、俺がさっき狭山に言った事がかぶった。

『狭山なんかいらない。』

俺は確かにそう言った。

 

「慎一郎は茫然としていたよ。けれど僕はそのとき榮一さんを追った。慎一郎を最低な形で捨ててしまったんだ。そのときから慎一郎は変わってしまった。良く笑って人懐っこい子だったのに、無口で誰も寄せ付けなくなったんだ…。

それからは僕と榮一さんのこと見もしなくなって、突然一人暮しするって言い出して…。先にこのマンションに来たのは慎一郎なんだ。けれど慎一郎の隣りの部屋が空いた途端、榮一さんがそこを借りて。小さい頃は二人ともすごく仲が良かったんだ。だから榮一さん、慎一郎に避けられているのが嫌みたいで、どうにかして前みたいな状態に戻ろうとしてここに住み始めたんだけど。結局榮一さんは一人だったら何も出来ない人だから、僕も一緒に住んでいるんだ。

ずっと見てくれなかった慎一郎が、僕が事故に会った時、僕らと話してくれたんだ。すごく嬉しかったなぁ。これで元に戻れるんなら事故に遭ってよかったかも…って思ったんだけど、思っただけだったみたい。事故に遭った翌日からは前と何も変わらなかった。

玲二くんに全てを押し付けるわけじゃないけど…玲二くんだったら。」

 

「俺には…。」

俺には無理だ。

「俺には無理です。話を聞いといて何言ってんだ…と思うかもしれませんけど、俺には狭山を変えることなんて出来ません。」

少し驚いた顔をしている未知さんに、俺は深く頭を下げた。

「何か…あったの?」

「すみません。」

どう言っていいのか分からなかった。未知さんはそんな俺の様子を分かってくれたみたいだ。

「慎一郎と何かあったかは無理に聞こうとしないけど、僕と違って玲二くんは慎一郎の事が好きなんだね。」

「俺は……!………は…、い。」

そうじゃない!男同士なんて…だって…変だし…。そう思ったけど、未知さんが榮一さんと付き合ってることを思い出して、素直に認めた。

「じゃあ大丈夫。今すぐ仲直りしておいで。慎一郎は見捨てられるのを一番恐れているから。」

「けれど俺は狭山にとって、必要とされてないんです…。」

「あの時から慎一郎のそばにいる人なんていなかったんだ。それが玲二くんは、どうゆう理由であれそばにいるから。その意味…分かる?」

未知さんはこんなにも優しくて、狭山が惚れるのも無理ないなと思った。俺なんて未知さんに顔が似てるだけで、性格は全然違うし…。それでも狭山に少しでも必要とされるのなら…。

 

「俺、今から狭山に会ってきます。」

「頑張ってね。いってらっしゃい。」

未知さんは笑顔で俺を応援してくれた。未知さんとその場で別れて、俺はダッシュで家に帰り玄関に買ってきた物を置いて、母親に「出かけてくる。」と言って、狭山のマンションに向かって自転車のペダルを漕いだ。

 

荒い息を整えながらも、狭山の部屋のチャイムを鳴らした。ドアの向こうから足音がしてガチャッと扉が開かれると、俺はすぐに部屋の中に入った。

そうしないと入らしてくれなかったら困るから。

「何しに来た。」

俺の耳に響いたのは、今まで聞いたことのないくらい狭山の冷たい声だった。

 

 

 

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