☆降る夜空6話
「んっ…、やあぁ……。」
狭山の望む場所なら、俺はどこででも抱かれた。放課後の教室や、音楽室や、体育倉庫。夜の公園でも抱かれた。狭山のことが好きだから、我慢が出来た。
「ひぁっ……、や、しん…ちろー…。」
狭山は抱いているときだけ、俺に『慎一郎』と名前で呼ばせた。
「未知…未知…、愛してる…。」
狭山は抱いている間、俺のことを『未知』と呼びつづけた。その言葉を聞くたびに、俺の心臓が少しずつひび割れて壊れていった。
「あっ、んあっ……ああぁぁぁ………。」
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「おーい。森岡、客!」
クラスメイトの呼びかけで教室の入り口を見ると、楢岳が手を振っていた。
「今行く。」
窓際の端で友達数人とくだらないことを話していた俺は、適当に抜け出してドアまで歩いていった。
表面上の俺は今までと何一つ変わらなかった。前と同じように話して、同じように笑った。誰にもバレるようなことはなく、狭山に抱かれ始めてから3ヶ月が経とうとしていた。
「楢岳がこっち来るなんて珍しーな。どうしたんだよ?」
「いやー、教科書貸してくれ。」
「アホか。で、何が必要?」
「英Uの教科書。今日当たるから珍しく持って帰ってやってこようと思ったら、家に忘れてきた。」
楢岳らしい。「ちょっと待ってろ」と言って、英Uの教科書を自分の机から探し出して楢岳に渡した。
「さんきゅー。」
「ちゃんと返せよ。」
「分かってるって。」
教科書を渡した後も、しばらくドアの近くで楢岳と雑談をしていると、廊下を狭山が横切った。狭山と目があって、俺の顔が強張った。
「どうしたんだ?」
俺の顔の変化に気付いたらしい楢岳が、心配そうに尋ねてきた。
「いや、別に。」
「ふーん。なら、いいけど。顔色悪そうだから、無理すんなよ。じゃ、次始まるから戻るわ。」
「おう。またな。」
良く気がつく楢岳が去った後、俺はホッと息を着いた後もその場にたたずんでいた。
狭山はこっちを向いて、一文字ずつ口元を動かしていた。
“ク・ツ・バ・コ”
本当に靴箱といったのか半信半疑で、俺は後少ししか残っていない休み時間の間に、校舎の一階にある自分の靴箱を開けに行った。靴箱を開けると靴の上に置かれている一枚の紙を、手にとって読んだ。
−有神町5−2−14 橘マンション507号室−
この住所って、狭山のか?来いってか?
学校が終わって一度自分の家に戻ってから、母親に遅くなることを伝えて、俺の家から20分くらいの場所だから自転車で狭山の家に向かった。
この住所…どこかで。
狭山のマンションの前に着いて気がついた。
ここ、未知さんが住んでいるって教えてくれたところと一緒じゃないか。それに確か…部屋番号も隣り。
疑問を抱きながらもエレベーターで5階に上がり、部屋番号を一つずつ確かめながら歩いていると、ちょうど未知さんが住んでいるはずの506号室から、未知さんじゃない人が出てきた。
「あれ?未知?」
「いえ…あの……。」
いきなり声をかけられて、戸惑ってしまった。
「ん?未知に似てるけど、未知じゃないよね。」
「はい…。あの、森岡玲二って言います。」
胡散臭そうな目で見てしまっていたのだろう。その人は少し困った顔をして謝ってきた。
「ごめんごめん。俺ね、狭山榮一(さやまえいいち)って言うんだ。」
「狭山?」
驚いて声を張り出してしまって、榮一さんに笑われた。
「あはは。もしかして弟の知り合い?」
「お兄さんなんですか?」
俺がますます驚いていると、奥のドアが開いて狭山が顔を出した。
「何やってんだ。早く来い。」
狭山は榮一さんが視界に入ってないかのようだった。俺の頭の中に一つの図式が出来上がっていた。
以前、狭山と未知さんは付き合っていたけど別れた。その後、未知さんの部屋に榮一さんがいてることや、狭山が榮一さんを無視しているってことは、未知さんは榮一さんと付き合ってるんだ。だけど狭山は未知さんのことがまだ好きで…。
俺の入る隙間なんて、どこにもない。ずっと未知さんの代わりでも、いつかはオレ自身を見てくれるんじゃないかって…。俺も狭山も、叶う事のない恋だな。
榮一さんに会釈して狭山の方に向かおうとした。
ドンッ!!ガシャ―――ン!!!
「きゃあ―――――――!!!!!」
衝撃音と女の人の悲鳴が聞こえて、俺たちは廊下から下を見下ろした。
「未知!!」
狭山と榮一さんの声が同時に響いた。見下ろした先には電柱にぶつかった車と、そのすぐそばに血を流して倒れている未知さんの姿があった。榮一さんは携帯電話で救急車を呼びながら、階段を駆け下りていった。
不意にドンッと狭山にぶつかられて、俺は地面にしりもちをついた。
「さや…ま…?」
狭山は俺が目に入ってないかのように、俺から遠ざかっていく。
「待って……狭山…。行くのかよ?狭山!!」
俺の言葉に振り返りもせずに、狭山は榮一さんの後を走り出していた。
「行くなよ!狭山!狭山!!狭山―――!!!」
俺の狭山を呼ぶ声は、虚しく響き渡るだけだった。一人廊下に残されて、俺は茫然とした。所詮、未知さんに敵わないのだ。
込み上げてくる涙を止めることなんて出来なかった。
「ふっ……ははっ……俺ってダサダサだよな…。………う゛…はぁっ…う゛ぅ―――。っく…。」
ボロボロと流れる涙は、俺の顎を伝って地面へと落ちていった。