−強く儚い者たち−
<7>
あの後、充弘と潤一郎は、すぐに理たちが呼んだ救急車によって病院に運ばれた。
充弘は気を失っていただけだったために、運ばれる救急車の中で目を覚ましていた。
病院に着いたとき、その救急車を出迎えたのは医者と看護婦……そして、潤一郎の父親と母親だった。
まだ意識の戻らない潤一郎は、救急車から降ろされ担架で緊急治療室へと運ばれていく。
潤一郎の後を追うように、潤一郎の母親も駆けていった。
その場に残ったのは、青ざめた充弘、それに潤一郎の父親。
「おじさん……ごめん…なさい。僕のせいで、潤一郎が……。僕のせいで…。」
「充弘くんのせいじゃないよ。」
必死に頭を下げて謝る充弘の頭上で、父親のとても穏やかな声がした。
充弘が怖々と顔を上げると、父親はまた話し始めた。
「私たちはね、理くんって子から電話を貰った時、二人の心配をしていたんだよ。
潤一郎のことだけを心配していたんじゃない。充弘くんは、潤一郎と同じ私たちの大切な子なんだ。
充弘くんが無事で、本当に良かったと思っているんだよ。
それにね、潤一郎を刺したのは充弘くんじゃないのだから、そんなに自分の攻めないで欲しい。」
「でも…僕のせいで……。」
「だから違うんだよ。潤一郎は充弘くんのために、刺されたんだ。
充弘くんのせいで、刺されたのとは違うんだ。その違いが分かるかい?」
「僕の………ため……に?」
「そうだ、だから充弘くんが気にすることはないよ。それに、あれぐらいで潤一郎が死ぬはずないだろう?
自分のことを悔やむより先に、潤一郎のことを思ってやってくれないか?その方が、潤一郎は喜ぶはずだから。」
おじさんの一言で、救われた気がした。
僕のために、刺された潤一郎を愛しいと思った。
そして………あの事件から三日が経った。
それでもまだ、潤一郎は目を覚まさない。
.。・:*:・`☆、。・
充弘はこの三日間、一度も学校へは行かずに朝から晩まで潤一郎のそばにいた。
二日目に、充弘たちを助けた理と一史が、病室にお見舞いに来た。
いつもの元気がない理の肩を、一史はしっかりと支えている。
「氏原は…少年院に入れられるらしい……。」
「そうですか…。」
そんな言葉を一史の口から聞いたが、充弘にとってそんなことは、もうどうでも良かった。
ただただ、潤一郎が目を覚ますのを待つばかりだった。
潤一郎、早く目を覚まして…。
伝えたいことが、たくさんあるんだよ。
まだ…ありがとうも…………、好きも……言ってないんだ。
迷惑かも知れないけど、僕の気持ちを潤一郎に伝えたいんだ。
毎日来ていたのは、潤一郎の母親も同じだった。
二人とも潤一郎が目覚めるのを、今か今かと待ちつづけていた。
母親が病室の花の世話をしているとき、気を紛らわすためにリンゴを剥いているとき、充弘はずっと潤一郎の手を握っていた。
三日目の昼下がりだった。
充弘の握っていた潤一郎の手が、ピクッと反応した。
驚いた充弘は、潤一郎の手を強く握った。
もう一度、潤一郎の手が反応する。
「じゅんい…ちろ……?潤一郎?潤一郎、起きてるの!?………おばさん、潤一郎が!!」
充弘が母親の方を見ると、母親は口を手で押さえて目に涙を浮かべていた。
「み………ひろ……?」
目がゆっくりと開いていく潤一郎。
何度か瞬きをした後、何とかして起き上がろうとする潤一郎は、充弘の手を借りて上半身だけ起き上がることが出来た。
潤一郎は、充弘の方を見て微笑んだ。
その笑顔は、刺されて倒れる時に充弘に向けた笑顔と一緒だった。
「じゅんいちろー。」
充弘はこみ上げてくる涙を見られたくなくて、潤一郎に抱きついた。
母親はそんな二人を見て、音を立てずに静かに病室の外に出た。
「う゛っ……くぅ、………ひっ……」
充弘の目からは、止めようとしても止まらない涙が流れ落ちる。
そんな充弘を潤一郎は両手で抱きしめ返し、充弘の肩に顔を埋めた。
潤一郎は充弘の温もりを全身で感じ、自分自身に誓っていた。
二度とあんな目に合わせない…と。
「じゅんいちろ……良かった。目……覚ましてく…れて、本当…良かったぁ。」
涙ぐんだ声で途切れ途切れになりながらも、必死で話そうとする充弘。
「俺も、みっちゃんが無事で……みっちゃんが泣いてくれて、本当に嬉しい。」
ハッと気がついて、充弘は慌てて潤一郎から離れて背中を向けた。
恥ずかしいと思った。
今まで泣く事の出来なかった僕が、こんなに泣いてる姿を潤一郎に見られるなんて。
「こっちを向いて、みっちゃん。……みっちゃんの顔が見たいんだ。」
急いで流れている涙を手で拭い取って、真っ赤な顔をした充弘は、潤一郎の方をチラッと見る。
充弘の目に写ったものは……充弘だけに微笑んでくれている潤一郎。
今、言わないと……『好き』って……。
僕の気持ち、ちゃんと伝えないと…。
でも、男同士なのに気持ち悪いって思われたら?
……そう思われたら………そう思われたら………。
それでも、今の僕の気持ちを知っていて欲しい。
覚悟を決めた顔で、充弘は潤一郎と目を合わす。
喉まで出掛かっている、たった二文字の言葉がなかなか言い出せない。
潤一郎は充弘から目を逸らさず、充弘が何かを言い出そうとしているのを待った。
時計の秒針が一回転したとき、充弘はやっと言いたかった言葉を伝える事が出来た。
「……好き………で…す。」
大きく目を見開く、潤一郎。
また、秒針が一回転しようとしていた。
充弘は、潤一郎から目を逸らさなかった。
そんなとき、潤一郎の口元が嬉しそうに笑った。
そして、その瞬間、充弘は自分の唇に生温かいものを感じていた。
すぐに離れてしまったけれど、充弘には今のが何なのか分かっていた。
潤一郎の唇。
それは……軽く触れるだけのキスだった。
それだけで、充弘の心は温かくなった気がした。
唇から伝わる潤一郎の気持ちは、充弘の凍っていた心を溶かしてくれた。
それだけでなく、潤一郎は充弘をもっと喜ばせる言葉を言ってくれた。
「俺も、好きだ。」
告白をしている潤一郎の顔が見る見るうちに、真っ赤に染まっていく。
顔だけでは収まらず、耳までも赤く染まっていった。
「潤一郎………耳まで真っ赤になってる…。」
潤一郎の気持ちを聞く事が出来て、充弘の声は嬉しくってうわずってしまった。
「うるさいなぁ……、こんな言葉言ったことないから、恥ずかしいんだよ。」
嬉しかった。
本当にそう思った。
僕を必要とする人がいてくれる。
潤一郎が僕を必要としてくれる。
充弘は、微笑んでいた。
今まで、笑えなかったのが嘘みたいに笑えた。
顔を引きつることもなく、潤一郎に向って微笑む事が出来た。
全部…潤一郎のおかげ……、ありがとう…。
「潤一郎、一つだけ…お願いがあるんだ。……でも、その前に聞いて欲しい事もある。最後まで聞いて欲しい。」
ゆっくりと頷く潤一郎。
潤一郎が頷いたのを見て、充弘は話し始めた。
「僕が氏原に襲われたのは…分かってると思うけど…。」
潤一郎の顔は急に真顔に戻り、つらそうな顔に変わる。
「でも……僕は氏原に最後までヤられていないんだ。」
「けど…俺が美術室に入ったときには……。」
充弘に苦しそうに答える潤一郎。
充弘は潤一郎の右手を、両手で握り締めて深呼吸をした。
そして……再び話し始める。
「そうだね、潤一郎が美術室に入ってきたとき、僕はボロボロだった。
氏原に力ずくで床に叩きつけられて、まとわりつくような手で全身を触られ………
恐くて、気持ち悪くて、吐き気がした。
あいつに僕自身を掴まれたとき、無理矢理抜かされて、我慢できなくて……
嫌だって言ったのに………言ったのに………。」
潤一郎の手を握り締めている充弘の両手に、力が入る。
潤一郎も、しっかりと充弘の両手を握り返した。
「その後、何が起こるのかって恐怖で、気が狂いそうだった。
でも、そのとき…潤一郎が来て、僕を助けてくれた。嬉しかった。本当に来てくれて、嬉しかったんだ。」
充弘の目からは、一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。
潤一郎は空いている方の手で、充弘の涙を拭う。
「さっき言ったお願いは………潤一郎、退院したら…僕を抱いて欲しい。
あいつに触られたところ全部、潤一郎に綺麗にして欲しい。」