−強く儚い者たち−
<6>
暗く静かな廊下に響き渡るのは、潤一郎の足音と荒い息使い。
闇に吸い込まれそうな暗さだった。
月の光も、今は雲に隠されていた。
この廊下の角さえ曲がれば、美術室がある。
そこに…みっちゃんがいるんだ。
間に合ってくれ………。
視界に入り込んだ美術室のドア。
その距離は
20m……
10m……
5m……徐々に縮まっていく。
そして………、潤一郎は美術室のドアを勢いよく開けた。
美術室の中は、さっきまで隠れていた月の光が差し込んでいる。
潤一郎の目には信じられないものは写ってしまった。
その部屋の中心には…月の光によって照らされた充弘の横たわった裸体。
上半身の着ていた白いシャツは、力ずくで破られている形跡があった。
ズボンとトランクスは、引きずり下ろされている。
そして…充弘の上にまたがるようにして乗っかっている、がたいのいい男。
すぐに氏原だと分かった。
その氏原の手が、充弘のものに触れていた。
廻りには、白く濁った液体が飛び散っていた。
充弘の顔は、無表情だった。
少しも苦痛の顔をしていなかった。
涙も流れていなかった。
抵抗をしていなかった。
その顔は…生きる気力さえ、なくしていた。
あの時の…充弘の両親が死んだとき、葬式で見た…顔と一緒だった。
何も見ようとしない目。
何も聞こうとしない耳。
何も話そうとしない口。
動こうとしない身体。
潤一郎は、叫んでいた。
大声で、叫んでいた。
叫んでいた。
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!!!!!
氏原、てめぇ!!みっちゃんに何しやがるんだ―――――!!」
.。・:*:・`☆、。・
充弘にまたがっている氏原の頬をめがけて、潤一郎はこぶしを叩きつけた。
気分に酔ってしまっていた氏原は、突然潤一郎が現れたことに、呆然としていた。
全く予想もしていなかった出来事に、頭が混乱していた。
潤一郎は殴られてよろめいた氏原を、もう一度反対の頬を殴った。
充弘は上半身を起こして、ただただ唖然として潤一郎と氏原を交互に見ていた。
どうして潤一郎がここに?
潤一郎に殴られて、氏原は教室の部屋の隅にある道具棚に叩きつけられる。
背中を打った氏原は、ゆっくりと横に倒れていく。
今の衝撃によって、道具棚の中にしまってあった美術道具が倒れている氏原の周りに散らばった。
それでも、まだ氏原はピクリともしない。
潤一郎は気を失っているらしい氏原を少しの間見ていた。
それでも……氏原は起き上がらなかった。
安心した潤一郎は慌てて充弘の元へと駆け寄る。
充弘の両肩を掴んで、必死になって揺さぶった。
「みっちゃん……大丈夫!?何かされた……?何か…されたの?」
頭の中が白くモヤモヤとしている。
僕は一体どうしたんだろう?
確か、僕は…襲われて、恐くて、恐くて……。
そうだ、潤一郎に助けを求めてたんだ。
来てくれるわけないのに、何度も心の中で潤一郎の名前を呼んでいたんだ。
――みっちゃ…!?――
……あれ?
――みっちゃん…!?――
今、遠くの方で潤一郎の声が聞こえた。
僕…おかしくなっちゃったのかな?
感情どころか、頭までおかしく……………
『みっちゃん!!』
今まで聞こえてきた充弘な名を呼ぶ声の中で、一番大きかった。
ぼやけていた頭が急激に覚めていく。
何も写っていなかった視界の目の前に、潤一郎の姿があった。
ホッとした。
けれど、そのホッとしたのも一瞬で終わってしまった。
充弘の目には、手に美術道具と思われるパターナイフを持った氏原が立っていたのだった。
氏原の目は充弘ではなく、潤一郎を見ていた。
「潤一郎、危ない!!!!!」
しかし、その充弘の言葉は間に合わなかった。
潤一郎が後ろを振り返ったとき、氏原はすぐそばまで迫っていたのだった。
思わず目を閉じた充弘は、恐る恐る目を開けた。
充弘の目には………潤一郎の脇腹に刺さった一本のパターナイフが写っていた。
見事にも刀の部分は、全部埋まっていた。
深く…深く突き刺さっていた。
「じゅんいち……ろ………!?」
ナイフを引き抜かれた傷口からは、大量の血が流れ出している。
すぐに潤一郎の白いシャツは、赤く染まっていった。
それだけでは止まらず、赤い血は教室の床にも滴り落ちた。
どんどん床に広がっていく赤い血を見て、充弘は何年も前の記憶をさかのぼっていた。
見るものすべてが真っ赤で、真っ赤に染まった父さんも母さんも死んでしまった。
今の状況とよく似ていた。
父さんたちと潤一郎が被って見えた。
じゅんいちろう……。
なんで…?
どうして…?
どうして僕の大事な人ばかりが…こんな目に会うんだろう?
お願いします。
これ以上…僕から大切な人たちを奪っていかないで………。
おねがい……、おね…が…い……。
「やっと…泣いたな…。」
その声は、刺されたはずの潤一郎の声だった。
潤一郎の顔は、微笑んでいた。
刺されて痛いはずなのに、すごい嬉しそうに笑っていた。
頬を伝う涙。
潤一郎に言われて、充弘は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
目からこぼれ落ちる涙は、拭っても拭っても流れつづけた。
父さんと母さんが死んでから、泣いた事なんてなかった。
いつも僕は無表情で、隣りで潤一郎は笑っていた。
高校へ入るころから潤一郎も笑わなくなったけれど、今の潤一郎の微笑みは、あのころの微笑みと一緒だった。
こんなときなのに、何故だか懐かしかった。
そして、ゆっくりと潤一郎は床に倒れていった。
.。・:*:・`☆、。・
廊下から何人もの靴音がする。
最初に美術室に入ってきた理と一史は、あまりの光景に驚いた。
ボロボロになった充弘。
真っ赤に染まって倒れている潤一郎。
ナイフを持ったまま放心している氏原。
理と一史が入ってきたのと同時に、充弘も意識を失ってしまうところだった。
でも何故か充弘の顔は、今まで見たこともないくらい穏やかだった。