-強く儚い者たち-
<3>
父さん…母さん…、僕を置いて行かないで。
僕も一緒に行きたい。
僕は…一人ぼっちは嫌だ。
ボクヲ――― ヒトリニシナイデ。
.。・:*:・`☆、。・
人の小さい話し声で、充弘に少しずつ意識が戻ってきた。
頭がズキズキする…。
確か僕は美術室に残って…人を待っていて…。
そうか。
僕は何か薬品みたいなものを嗅がされて、意識が失ったんだ。
ここは、どこなんだろう?
重いまぶたを持ち上げて目を開けると、ぼんやりとした景色が見えてきた。
何度か瞬きをして、少しずつ視力を戻していく。
だいぶ元に戻ってきた後、目だけを動かして辺りを見回した。
そこは、さっきまで充弘がいた美術室の中だった。
しかし…部屋の中は真っ暗になっていて、目が暗闇になれても部屋の中全体を見ることは出来ない。
外を見ると、すでに夕日が沈んだ後で、月が輝き始めていた。
月は雲の中から時折姿を見せ、充弘のいる教室の一部分だけを照らした。
今……何時なんだろう?
早く帰らないと、おばさんが夕食を作って待ってるのに。
起き上がろうとして充弘が身体を動かすと、手足が自由に動かないことに気付いた。
手首と足首が、それぞれ紐か何かで縛られている。
「う゛っ………。」
それでも起き上がろうとして床に倒れた充弘は、小さな呻き声を上げた。
「お目覚めかい?………お姫様。気持ち良くお寝んねしていたみたいだが…。」
教室の月の光が届かない部屋の隅っこから、一人の話し声……そして、数人の笑い声が聞こえてきた。
耳が痛くなる笑い声に、充弘は背筋に寒気が走った。
月の光の下に現れた声の主は、柔道部の主将、氏原哲平だった。
そして氏原の後ろに立っているのは、柔道部の部員と思われる男たちが5人、充弘を見下ろしていた。
充弘は、自分を見下ろしている氏原たちの姿を、無表情で受け止めた。
この人たちは、誰?
どうして、僕を見下ろしてるんだろう?
何をそんなに、ニヤニヤ笑っているんだろう?
「この紐……解いてくれませんか?」
床に這いつくばったまま頼む充弘の姿を見て、氏原は以上なまでに興奮を覚えていた。
「おぃ、紐解いてやれ。」
氏原は後ろに立っている部員たちに命令して、充弘の手足を縛っていた紐を解いてやった。
解いている部員たちの口元は、さっきと同じようにニヤニヤと笑っていた。
充弘は背筋の寒気が止まらなかった。
それでも、充弘の表情は変わらないままだった。
「ありがとう……。けど…僕、どうして………。」
充弘は頭をはっきりさせようとして左右に振りながら、上半身を起こそうとした。
その途端、氏原は充弘の肩をつかんで床へ押し倒した。
「いっ……た…。何すっ………!?」
充弘は床に叩きつけられたところを押さえて、氏原の方を見た。
けど…充弘の声は、途中で止まってしまった。
氏原の顔は恐ろしい顔をして、充弘を見下ろしていたからだった。
「お礼なんか言われる筋合いはねぇよ。手首を縛ったのは、俺だからな。
ふふふ…ははっ……うはははははは…………。」
氏原の目は、正気の目をしていなかった。
充弘は自分を押さえつけて笑っている氏原から目を逸らした。
身体が急速に冷たくなっていくのが分かる。
寒い…寒い…寒い…
恐い…恐い…恐い…
助けて…
潤一郎…………助けて………
充弘の細い身体の上に、ごつい身体をした氏原がまたがって乗ってきた。
氏原は片方の手を充弘のシャツに伸ばして、襟元を掴んだ。
そして、もう片方の手で充弘の顎を持ち上げて、自分の方に顔を向けさせた。
「ちゃんとこっちを見ろ。」
恐がっているのかさえ分からない充弘の無表情。
そんな充弘を、氏原は恐怖で顔を歪めるのを見たくなった。
「やめろ…。」
充弘の発する言葉には、何の感情も含んでいない拒否の言葉だった。
充弘は、こんな状況に陥っても無表情のままの自分が嫌になった。
恐い…恐い………けど……
分からなくなる。
僕には、もう感情なんかないんじゃないかって。
これから先ずっと、感情なんか戻ってこないんじゃないかって。