−強く儚い者たち−
<1>
「おはようございます、敦子おばさん。」
三年間住み慣れた家は、充弘にとってすごい心地よいものだった。
二階にある自分の部屋から階段を下りて行き、一階のキッチンで朝ご飯の用意をしている潤一郎のおばさんに声を掛けた。
「おはよう、みっちゃん。もう制服に着替えてるのね。潤一郎とは大違いだわ。
その潤一郎で悪いんだけど、今…手を離せなくって…潤一郎を起こしてきてくれない?」
忙しそうに手元を動かしながら、敦子は充弘に潤一郎を起こすのを頼む。
「わかりました。」
返事をして潤一郎の部屋へ向うために、充弘は再び二階へ上がった。
ドアをノックをしても、当然返事が返ってくるわけがない。当の潤一郎は、夢の中にいるのだから。
ドアを開けると、布団の中で丸まってる潤一郎の姿があった。
「潤一郎?そろそろ起きないと遅刻するよ。」
「ん゛んぅ――。後、五分だけ寝かしてください。」
もぞもぞと布団の中で潤一郎が動いているのが分かる。
「今起きないと潤一郎をおいて、先に学校にいくからね。」
“置いてかれる”の言葉に反応して、潤一郎は布団から顔だけ出して充弘を見上げた。
「起きる……。」
毎日こんな繰り返しが行われていた。
ただ充弘だけが、いつか終わってしまうこの幸せな日々に怯えながら暮らしていた。
また大切な人をなくしてしまうのではないかと………。
.。・:*:・`☆、。・
充弘と潤一郎は同じ高校に通う2年生だけど、クラスがA組とF組とで教室の場所も校舎も別だった。
充弘は美術部員。潤一郎は生徒会副会長と、学校では何の接点もない二人だから、周りの人間も二人が一緒に住んでいるなんて、一部の人間以外全く知らなかった。一緒に登校する仲の良い友達だと、誰もが思っていた。
「じゃあ、潤一郎。僕、こっちだから。」
靴箱が並んでいる共通の校舎に入った途端に、充弘から出るこの言葉。学校にいる時、充弘は決して潤一郎に声を掛けようとはしなかった。
潤一郎が声を掛けても、『何?』と、言ってくれるときがまだマシで、全くの無視をされる時もあった。
クラスでも一人孤立しているようだった。充弘のクラスの委員長が根っからの世話好きで、委員長だけが毎日充弘に声を掛けているらしかった。
無表情でしゃべりもしないと、充弘のことを悪く言う奴も少なくなかったが、見た目がとんでもない美少年のため、変な気持ちを抱いている輩の方が多いのは確かだ。
すでに自分の靴箱に向っている充弘に向って、潤一郎は小さく呟いた。
「あぁ。」
その言葉は充弘には聞こえていなかった。
「はぁ…、みっちゃんが冷たい……。」
副会長として皆に厳しくしている者の発言とは思えないほど、潤一郎は情けない声を出していた。
充弘と校舎で分かれた潤一郎は、素早く靴箱からスリッパを取り出して、履き替えた。
生徒会室へと続く階段を上る前に、靴箱を開けようとしている充弘に目をやった。
充弘は靴箱を開けてすぐには履き替えず、立ち止まって靴箱の中をジッと見ている。
何を見てるんだ?あの中には、みっちゃんの自分のスリッパしかないはずだぞ?
こーゆうとき、みっちゃんの表情が分からないのが困るな。
何を考えているのか……三年も一緒に暮らしているのに、まだ分からない。
これ以上見ていると生徒会室に寄ることが出来なくなるので、視線を目の前にある階段に戻して上り始めた。
階段を上りきって右側に進むと、普通のドアより大きいドアがそびえ立っている。
副会長になってから何回も通った事にある潤一郎にとっては、何の変哲もないただのドアに過ぎなかった。
そのドアを開けると中には、居て当たり前の生徒会長の辰巳 一史(たつみ かずし)と、なぜか新聞部部長の秋山 理(あきやま おさむ)〔自称俺の親友らしいが、奴が勝手にほざいてるだけだ。〕が、生徒会室の真ん中にあるソファに腰掛けていた。
「何で理が、生徒会室に腰を掛けてるんだ?」
他人にはあまり執着心のない潤一郎は、冷たい目線、冷たい声で理に問い掛けた。
「なんだよ。せっかく情報持ってきてやったのに、そんな冷たい言い方はないだろー。なぁ、生徒会長さん?」
身体は小さいくせに、態度だけはでかい。
そんな理を生徒会長の一史は、日ごろから生徒会室の入室を許可してる時点で気に入ってるみたいだということは分かる。一史は、男でも女でもOKのバイなのだ。全校生徒にカミングアウトしてるのにも関わらず生徒会長ということは、かなり信頼されているということだ。
以前は色んな奴らが生徒会室に出入りしていたけど、最近のお気に入りは理だけだから潤一郎にとっても少しは理に感謝しなければならない。
生徒会室に一般の生徒が出入りなんて、業務に支障が出るからだ。
「そうなんだ。さっき俺も聞いたばっかりだったんだが、潤一郎にも聞いてもらっといた方がいい。」
普段は笑顔を絶やさないで言い方も優しい一史だったが、今日は真面目な顔をしている。
「じゃあ、さっさと言え。」
潤一郎は、理に向って冷たい声で急かした。
これ以上睨まれるのは勘弁と言わんばかりに、理はすぐに話し始めた。
「一ヶ月ぐらい前に、柔道部内のイジメが発覚して三ヶ月の停止処分をくらわしただろ?それで柔道部は今、廃部寸前らしいんだ。」
「その噂なら、俺も聞いた事がある。お前のことだから、まだ続きがあるんだろ?」
その程度のことなら、潤一郎の耳にも入ってくる。
理は新聞部としての腕は確かだから、その情報網も半端じゃない。きっとそれだけでは話が終わらないはずだ。
潤一郎の言葉を聞いてニヤリと笑った理は、続きを言い始めた。
「最近、主将を中心とする残った柔道部員の動きが妖しいんだよ。何人かが柔道場に集まって、話をしているらしい。柔道場に入っていくのを目撃した奴らもいる。
目撃した奴らの一人が無謀にも盗み聞きしたんだけど、何を話しているのかまでは分からなかったらしい。けど…『生徒会』・『さえ…』・『落とし入れる』・『手に…』だけは聞こえたんだと。これらの言葉を聞いても分かるように…。」
「生徒会が狙われているってことは分かるな。」
即座に答えた潤一郎の顔を見て、理と一史は同時に深刻な顔で頷いた。
「今分かっていることが、それだけなんだ。とりあえず会長さんと潤一郎は少しの間、周囲を注意しとしてくれ。俺はもう少し調べてみる。」
そうだ…。まだ生徒会が狙われるだけじゃ、あの四つの言葉が繋がらない。
残るは…、『さえ…』と『手に…』だ。
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まただ……。今日で、七日目。
充弘は自分の靴箱を開けると、ここ一週間毎日、目にするものがある。
白い便箋に男の字で『佐伯 充弘 さま』と書かれ、裏には赤いハートのシールが貼ってあるラブレターだ。
男子校だから当たり前と言えば当たり前になるが、男からのラブレターだったりする。
ここ一週間続いてるラブレターには、すべて名前が書いていなかった。
「気色悪い……。」
充弘はそう呟きながら、ラブレターの中身を読まずに破り捨てた。
これでも三日間は、ちゃんと中身も確認したのだ。
『お前が好きだ。』
『俺の物になれ。』
『俺から逃げられないぞ。』
ここまでくれば、ストーカー並みだ。
以前にも、男からのラブレターを貰ったことはあった。
丁寧にお断りをしたにも関わらず、その男は充弘を力ずくで手に入れようとした。
そのとき…助けてくれたのが潤一郎だった。
あの日以来……充弘は潤一郎以外の男と話そうとしなくなった。
男が男嫌いになってしまったのだ。
充弘がラブレターを破り捨てる場面を見ている人物がいた。
廃部寸前の柔道部の主将、氏原 哲平(うじはら てっぺい)………。
手紙を出した張本人だった。