憧れの向こう側<前編>

 

 

 

その夢はいつも、あの子の泣き声から始まった。

『こらー!清文を苛めるなっ』

 俺は、小さい子を取り囲んで苛めているガキ大将どもになぐり込む。

『げっ、おさむだ』
 ガキ大将どもは、俺の姿を見るとあっと言う間に姿を消す。

『なーちゃん…』
 べそをかきながら、清文は俺の顔を見上げる。

 こいつ、矢野清文(やの・きよふみ)は小学校の同級生。ついでに言うと、家はほんの5軒ほど隣で、よく言う『幼なじみ』って関係だ。

『清文、一人で帰っちゃダメじゃんか』

 清文は、とても同じ歳とは思えないほどちっこくて、すごく可愛い顔をしてるから、ガキ大将どもの格好の餌食なんだ。

『でも、なーちゃん、今日は帰りに塾に行くって…』

 俺の名前は中久保理(なかくぼ・おさむ)。
 6年生にしちゃデカイ方だから、ガキ大将どもも、俺には一目置いている。

『バカ。ちゃんと清文を送ってから行くってば』

 そういうと、清文は嬉しそうに、それは可愛い顔で笑うんだ。

『じゃあ、なーちゃん、一緒に帰ってくれる?』

 友達はみんな、俺のこと『おさむ』って呼ぶけど、どうしてだか清文だけは『なーちゃん』って呼ぶんだ。多分、中久保の「な」だろうって思うんだけど。

『あったりまえだろ。ほら、行くぞ』
 そう言って俺は、清文の手を引っ張る。

『僕も、なーちゃんみたいに大きくなりたいな』
 清文はいつもそう言う。

『いいよ、清文はこのままで』
『どうして?』
『いいんだ。お前はそのままで可愛いからさぁ』
『でも、僕もなーちゃんを守ってあげたい』
 そういう清文の顔はすっごく真剣で。

『あははっ!清文が俺を守るって?そんなの百年早いぞ』
『え?そんなに…?』
 困った顔の清文が、すっごく可愛くて…。


☆.。.:*・゜



「ほえ〜」

 まただ。また同じ夢。
 ここのところ、毎晩同じ夢を見て、俺は目覚ましのアラームより1時間も早く目が覚めてしまう。

 俺はこの春高校1年になったばかり。
 そして、この夢は高校に入ってほんのちょっと経ったときから始まった。

 俺の小学校の頃の光景…。
 夢に出てくるのは幼なじみの矢野清文。

 ずっと仲良しだったんだけど、清文は小学校卒業と同時にこの街を去った。
 両親が離婚して、母親に連れられて実家へ行ってしまったんだ。

『なーちゃん!僕のこと、忘れないで!』

 引っ越しのトラックが出るとき、清文はそう言って泣いた。
 チビで泣き虫で苛められっ子の清文。

 俺はその頃、165cmもあってクラスで一番でかかった。
 そして、頭一つ以上小さい清文の頭を撫でて言ったんだ。

『忘れるもんか。清文は俺の大事な友達だからな』

 あれから3年とほんの少し。
 どうして今頃になって、清文の夢ばかり見るのか。

 最初の頃は、もしかして清文に何かあって、『虫の知らせ』とかじゃないだろうかと不安にもなってみたんだけど…。

 最近、俺はこの夢の原因に薄々感づき始めた…。

 俺の現在の身長は165cm。
 そう、小学校卒業以来まったく伸びてないんだ。

 だから中学3年間、身長を伸ばすことだけを目標にバスケ部でがんばった。
 もちろん筋トレもやったし、走り込みだってした。だから体力には結構自信がある。

 けど…背は伸びなかったし、もともと骨格が細いのか、筋肉がついたところで細い身体に変わりはなくて…。

 しかも、バスケっていうインドアスポーツのおかげで俺は陽にも焼けず、白くて細くて…いつの間にか俺は、クラスの中でも一番のおチビになっていたんだ…。

 しかも、人相の方の成長も芳しくなく、小学生の頃のまま…といってもいいほど、そう、童顔だったりもして…。

 そのせいだとは思いたくないのだが、この春から始めた電車通学で俺は…悔しいことに痴漢に遭うようになった…。

 触ってくるヤツはいろんなヤツがいるけど、共通してるのはみんな「でかい」ということだ。
 俺がいくら身を捩ったところで、力で負けている。

 男なんだから、みっともない声なんか出したくない。だから、思いっきり相手を睨み付けたりするんだけど、効果は無いに等しい。

 その度に俺は思うんだ。
『でかくなりたかった』って。

 俺が現れただけでガキ大将が怯んだ、小学生の頃の自分が、羨ましくて…。

 だいたい理不尽じゃないか。
 俺はガキの頃、デカイからってちっこいヤツを苛めたりしなかった。
 反対に、ちっこい清文を守ってやっていたのに…。
 なのに、何で今頃こんな目にあわなきゃなんないんだよ…。

 そう、きっとこの夢は、俺の願望。俺の憧れ。
 あの頃のように、強くなりたいって…。





「はぁ〜」
 俺は駅について早くもため息を吐く。

 今日もちょうどいい具合に混んでる…。
 殺人ラッシュ…と言うほどでもなく、ほどほどにきっちり混んでいるってのがかえって災いして、痴漢は触り放題、野放しの状態だ。

 そして今日も…。
 来た…。
 最初は背中に触れて、その手がだんだんと下に…。

 くっそう…。
 俺は少し身を捩って後ろを見る。

 また…こいつ…。
 大学生風のこいつは最近よく現れるヤツで、かなりしつこい。

「ぼく…可愛いね…」
 耳元でそんな声が…。
 生ぬるい息が耳に触って…鳥肌が…。

「ひ…っ」 
 思わず息が喉を鳴らした。
 まさか、こいつの手…俺のベルトを外し始めてる…?

 一瞬戸惑ってしまったせいで、俺はもう片方の手らしきものでがっちりと腰を抱き寄せられていた。

「やめ…」
「あれ?久しぶり!」

 はぁぁぁ?

『やめろ』と言おうとした俺の言葉を、見知らぬヤツ横から遮ったんだ。
 そしてそいつは…。

「あんた誰?」 
 と、痴漢に言ってのけたのだ。

「俺のダチに何か用?」
「え…」

 呆気にとられている痴漢は、俺のベルトに掛けていた手を外されて、高くあげられた。

「あんまり誤解されるようなマネ、しない方がいいよ」
 その声に周りが何事かとざわつきだした。

 そして、ちょうどその時滑り込んだホームに、痴漢は転がるようにして出ていった。
 やがて、電車はまた、何事もなかったように発車して…。


「あ、あの…ありがとう」
 漸くそう言った俺に、そいつはニコッと笑った。

「いや、たいしたことじゃないよ。ああ言う輩は放って置くとつけあがるからね。早めに退治した方がいい」
「うん…」

 そりゃ、俺だってそう思うし、そうしたかったんだ。
 けれど…。

 俺はジッとそいつを見上げてしまった。
 背が…高い。
 この分じゃ180cmは軽く越えてそうだ。身体はスレンダーだけど…。

『ガタンッ』

「わぁっ」
 いきなり揺れた電車に、どこにも掴まらずにボケっと見上げてた俺は、簡単によろけてしまた。

「おっと」
 名前も知らない正義の味方は、よろけた俺をいとも簡単に支えてくれたんだけど…。
 こいつ…見た目よりも結構がっちりしてる…。

「あ…。重ね重ね、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」

 またしてもニコッと笑う正義の味方は、よく見るとかなりいい男で…。

 ううう…。悔しいかも。俺だってあのまま順調に背が伸びていれば、今頃こんな感じになってたかもしれないのに…。

「君…華南学園の1年生だね」
 頭の上から声がする。
「あ、うん。そう」

 華南学園はこのあたりじゃ名の通った進学校だから、制服を見ればすぐわかる。
 それに、襟にはきちんと学年章もついてるし。

 で、この背の高いハンサムをよく見れば…。
 げ。これ、等綾院高校の制服じゃないかっ。

「えっと、もしかして等綾院…?」

 等綾院はうちよりワンランク上の、このあたりじゃナンバーワンの進学校だ。
 俺もチャレンジしてみようかと思ったんだけど、ちょっと危なかったのでやめたんだ。
 もっとも華南学園でも親は大喜びだったから、これでいいとは思ってるけど。

「そう。君と同じ一年」
 えっ!一年生?嘘だろ…。こんなにデカイのに…。  
 見上げた視線がバッチリ絡んでしまって、急に気恥ずかしくなった俺は、ついつい視線を下げてしまう。

 目の前にはブレザーの襟。よく見ると、小さくて細長いバッジがついている。

「あ、り、も、と…?」

 渋い金色のそれは、ローマ字筆記体で『Arimoto』と書いてあった。

「ありもと…くん?」

 何となくそう聞いてみたら、彼は嬉しそうに『そう』と言って漢字を教えてくれた。
 有名の「有」にBOOKの「本」で、『有本』くん。

「かっこいいんだ…。名前のバッジがあるなんて」
「華南は名札を付けないんだね」
「ううん。学校へ入ったらつけるんだ。でも、こんなにかっこいいんじゃないよ。ただの白いプラスチックプレートだから。それに漢字だし」

 俺はそう言って制服の胸ポケットから白いプレートを取りだそうとした。

「待って」
 有本くんは胸ポケットに突っ込んだ僕の指を押しとどめた。
 そして、耳元で小さく言った。

「周りにまだ変なヤツがいるかもしれないから、名前を見せちゃダメだよ」     
「あ…」
 そんなこと、考えもしてなかった。

「今日は、何時頃帰る?」

 そう聞かれてよく考えてみれば、俺はバスケにも見切りをつけて、今のところ帰宅組だから、掃除当番や日直でもなければ結構早く帰ってる。

「えっと、4時半には電車に乗ると思うけど…」
「じゃ、その頃ホームで待ってる」
「え?」
「一緒に帰ろう」

 等綾院高校は華南学園より一駅向こう。
 ってことは、わざわざ降りて待ってるってこと?

「返事は?」
 たたみかけるように言われて、俺は思わず頷いてしまった。

 すると彼、有本くんは嬉しそうに笑って、
「その時に、君の名前、教えて」
 そう言った…。






 その日一日、俺はなんとしたことか、ぼけーっと過ごしてしまい、気がついたらもう放課後だった。

 クラスの友達(同じく帰宅組)が『ゲーセンいこーぜ〜』って誘ってきたけど、ごちゃごちゃやってるうちに、もうすでに時計は4時を回っていて、俺は友だちを振り切って慌てて駅に向かった。

 駅の階段を駆け上がりながらふと、思う。
 有本くん、本当に来てるだろうか…。
 朝はああ言ったけど、もう、忘れてたりしないだろうか…。
 もし、ホームにあがっても彼の姿がなかったら…。

 なんだか走ってる自分が急に滑稽になった。
 どうしてこんなことに心を裂いているのかわかんない。

 俺は階段の最後の数段を、一気に疲れの出た重い足取りで上がった。
 そして、そこには…。

「よかった。来てくれた」

 朝の笑顔と変わらない、有本くんがいた。

「あの、ごめん、待った?」

 俺は自分の足が急に軽くなったコトに気付き、酷く戸惑う。

「ううん、今の電車で来たところだから」

 そう言った有本くんの視線の先には、遠ざかる電車のテールランプが見えている。

「もし…来てくれなかったらどうしようかと思って…ちょっと不安だったんだ」

 …びっくりした。
 有本くんのその言葉は、今、俺の心が小さく呟いたことと同じ内容だったから。 

「あのさっ」
 俺は、呟きの中身が漏れ出てるんじゃないだろうかという不安に駆られて、慌てて会話をつなげる。

「ほら、俺の名前」
 そう言って、ポケットから白いプレートを出す。
 有本くんはそれをジッと覗き込んだ。

「中久保くん…っていうんだ」
「うん」

 有本くんは、今日何度も見た笑顔の中で、一番綺麗なのを見せてくれた。

「次の電車で、帰ろうか」
「うん」

 帰りの電車、有本くんは俺のことをいろいろと聞いてきた。
 何処に住んでるのか、中学はどこだったとか、好きな食べ物、嫌いな食べ物、家に帰ったら何してるとか…。

 ほとんど俺は返事をするばかりで、俺だって有本くんのことをいろいろ聞きたかったんだけど、ほとんどそのチャンスはもらえなかった。

 そして、次が俺の降りる駅…ってところで、毎朝の災難について触れてきた。

「もしかして、しょっちゅう痴漢にあってる?」
 それは男としては超情けない質問で…。

「お、俺だっていろいろ工夫してるよ。時間を一本ずらせたり、車両を変えたり…」
「そんなのかえって危ないよ」
「ど、どうして」
「明日から時間と車両を合わせて一緒に行こう」

 え?ええっ?

「友達が一人でも側にいたら、おいそれとは手を出せないよ」

 そりゃあまあ、そうかもしれないけど…。
 でも、それって『守ってやろう』ってこと?
 俺、やだよ、そんなの…。俺だって、男なんだから…。

「実は俺、一人の通学に飽きてたんだ。毎朝中久保くんと一緒だと、楽しいだろうなと思って」
「有本くん…」

 もしかして、気を遣ってくれてる…?
 密かに俺が負担を感じないように配慮してくれてるらしい有本くんに、俺はまたしても情けなくなってしまう。

 有本くんは、外見だけでなくて、中身も男らしいんだ…。 

「…うん。ありがと。俺も有本くんと一緒に通学できたら楽しいと思う」

 こうなったら素直にならないと、ますます惨めになっちまうよ…。
 俺はそんな内心を気付かれなくて、ちょっと無理して余裕の笑顔を作ってみせる。

「よし、じゃあ明日からは…」

 有本くんは電車の時間と車両をてきぱきと決めた。
 有本くんの降りる駅は、俺より一つ向こう。つまり、俺の方が学校も自宅も一駅内側ってことになる。


「また明日」
「うん、また明日」

 こうして、俺たち2人の電車通学は始まった。

 

 

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