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「死なないで。お父さんが死んだら、一人ぼっちになっちゃうよ!」
「すまん。翔(ショウ)、……すま、ん…」
お父さんは仕事をしている最中に、心臓発作で倒れた。救急車で病院に運び込まれたときには、ほとんど心臓が止まりかけていたらしい。
僕は連絡を受けて、病院に向かった。もう最後…そうお医者さんに言われた時、奇跡的にお父さんの意識が戻った。
けれど…お父さんは、僕に最後の言葉を残して、そのまま帰らぬ人となった。
お父さんが謝りながら死んでいったのは3日前のこと。それももう、遠い日のよう。
あの日から、僕の生活は一変した。一変しすぎて、お父さんが死んでしまった悲しみをゆっくりと噛み締める暇もないぐらいに。
お父さんが生きているときに作ってしまっていた借金で、僕の元には何も残らなかった。
今まで住んでいた家を売って、家の中の物も、貯金も全部とられてしまって、僕は高校にも通うどころじゃなくなった。
高校に通えなくなっても、心配する人なんていない。まだ1年も通ってないけど、僕はクラスでも大人しくて、ほとんど存在がないに等しかったから。誰も話し掛けてくれる人なんていなかった。みんな、僕を遠巻きに眺めて、コソコソ話していた。僕は嫌われ者だったんだ。だから高校に通えないと分かっても、そんなに悲しくならなかった。
あるもの全てを出し切っても、まだ借金は膨大に残った。
僕にはお父さんがどれぐらい借金を作っていたのか、全く知らなかった。ただ、金融会社の人が後、700万足りないと言った。それが嘘なのか、本当なのか…けれど僕はその言葉を信じるしかなかった。どうやって返したらいいのかも分からなかった。僕は、あまりにも無知だった。
お父さんを恨もうとは思わない。僕が小学生のとき、お母さんが家を出て行ってから一生懸命に働いて僕を育ててくれた。
どれだけ貧乏でも、僕はお父さんと一緒で楽しかった。
お父さんは一生懸命で、真面目すぎて、少し借りたお金が利子で増えていって、どうしようもなくなったんだ。
返済するために必死で働いて、働きすぎて倒れて、そのまま死んでしまった。
人が死ぬ事は、なんて簡単な事だろう。
住む家がなくなって、それでも残っている借金を返せと金融会社と名乗るヤクザみたいな人たちが脅してきた。今日で今日まで住んでいた家から出ていなくてはいけなかった。お父さんとの思い出が残る家を出て、僕はそのヤクザみたいな人について行くしかなかった。
ヤクザのお兄さんは僕を車の後ろ座席に乗せてどこかに向かっていた。助手席に乗っている人がニヤリと気持ち悪い笑みを僕に向けて、『払えないなら、身体で返せ…。お前みたいな奴は売れるからな。』と言った。
お父さんは金融会社と名ばかりの、ヤクザが経営する闇金融に手を出していた。
お父さんの馬鹿。
どこかに売られるぐらいなら、死んだほうがマシだと思った。誰か知らない人に抱かれるぐらいなら、自分から死んでやる。そんなことでしか生きていけない僕なんて…何の意味もない。
僕は連れて行かれそうになったヤクザの人たちから逃げ出した。赤信号で止まった隙に、ドアを開けて駆け出していた。ただどこに行けばいいのか分からなかったけれど、その場から少しでも離れたかった。あのヤクザの人たちに抱かれるぐらいなら、死んだほうがマシだ。
死にたかった。
死んでお父さんの元に行きたかった。
お父さんと一緒にいたかった。
一人ぼっちは、嫌だった。
着の身着のままで寒い夜の中、どこか分からない道を彷徨っていた。ひたすら歩いた。歩くことしか出来なかった。
ポケットに入っているのは、たったの27円。
もう何の役にも立たない。
どうやって死んだらいいのか、ずっと考えながら歩いた。
このまま寒空の中ずっとシャツ一枚で外にいたら、死ねると思った。
僕一人死んだぐらいで、誰も悲しむ人なんかいない。
誰も、心配なんかしない。
僕なんか…。
時間が分からなくなるぐらい彷徨い歩いていた僕の足は、疲れきっていた。ヤクザのお兄さんたちが探してるかも知れなかったけれど、もうほとんど力が残っていなかった。
もう死ぬんだから、見付かっても、大丈夫。
ふと顔を上げたとき薄着一枚で外を歩いてみすぼらしい僕には不似合いの高級マンションが目の前にあった。こんなところで死んだら迷惑かかるかなぁ…と思いながらも、エントランスに入るところの2・3段だけあるの階段に座りこんだ。そのままゆっくり身体を横に倒して目を閉じた。
足と手の先から、少しずつ冷たくなっていく。胸が苦しくて、息が荒くなる。寒いのに、苦しくて冷や汗が出る。何度も大きく息を吸うけれど、目はもう何処を見ているのか分からなかった。耳に聞こえてくるのは、ヒューヒューと僕が苦しく息をしている音だけだった。
このまま、死ぬのかな?
ここのマンションに住んでいる人、ごめんなさい。
すごく迷惑かけちゃうけど、許してくださいね。
もう…僕、眠い。
息苦しいのに眠いなんて…変だよね。
息…しなくても、いいかなぁ?
お父…さん、待って…て。
僕も……、すぐ、に……行くか…ら……ね……。
…………、……………。
ん…?
何?
何か…暖かい。
…お父さんみたい。
お父さんの温もりがする。
温くて…安心する。
そっか…。お父さん、僕を迎えにきてくれたんだ。
ありがとう…。
僕、一人ぼっちじゃないんだ。
次に目を覚ましたとき、僕はもう死んだと思っていた。死んでお父さんと一緒にいると思っていた。
なのに、僕はどこかの大きなベッドの上に寝かされていて、毛布でグルグル巻きにされている。
ここ、どこなんだろう?
誰の家…?
僕…まだ生きてるの?
お父さん、迎えにきてくれたんじゃないの?
僕は、まだ…一人ぼっちなの?
不意に涙が溢れ出す。目からポロポロと零れた涙がそのまま横へと落ちていった。
顔だけ動かして見渡してみると、かなり大きな部屋だった。けれど、僕が今寝かされていたベッド以外には、本棚とソファ、テーブルしかなかった。
なんて殺風景な部屋なんだろう。
起き上がろうとして、少し身体に力を入れた途端、全身にきしんだように痛みが走って、またベッドへと倒れこんだ。
それと同時に、部屋に一つしかなかったドアがゆっくりと開いた。
03/01/17up