ビジネスライク(1)
初日
−枚方 泉−
「紹介しよう。今日から君の面倒を見てくれる、布施(ふせ)くんだ。今日から4日間、布施くんに従って頑張ってくれたまえ。」
俺は紹介された布施という人の顔を見て、身体が固まった。175cmの俺が少し見上げたその視線の先には、超!!不機嫌な顔があったのだから。
なんでこんなに怖い人が担当なんだよ。俺、4日間もこの人について仕事を教わるのか?やっぱり企業実習なんてするんじゃなかった。
俺は大学の企業実習を受けにこの会社に来た。今日から4日間、この会社で働く…らしいのだが。
帰りたい。
俺がここに来て最初に思ったことは……その一言だった。
布施さんという人物を紹介してくれた気の良さそうな部長さんは、そう言ってその場に俺と布施さんを残して、自分の仕事に戻ってしまった。
「よ、よろしくお願いします。」
恐る恐る布施さんの顔色を伺いながら、俺はどもりながら挨拶をした。
「…あぁ。」
ワンテンポ遅れて、たった二文字の声が返ってくる。それ以上何も言ってくれないので、俺はどうしていいのか分からず、布施さんを見たまま、またもや固まってしまった。
一体、どうしたらいいんだよ!
−布施 秋久−
どうして俺が実習生を受け持たなければならんのだ。
実習生が来る前の日に急に指名されて、俺は渋々4日間の面倒を見なければならなくなった。
はっきり言って、かなり嫌だ。
そんな風に思っていた俺は、今日来た実習生の枚方泉を見て、一瞬にして消え去った。
「よ、よろしくお願いします。」
俺はついつい枚方の顔を真剣に見ていて、ワンテンポ返事が遅れた。
「…あぁ。」
枚方はそのまま俺を見て固まっている。きっとニコリとも笑わない俺が怖いんだろう。自分でも分かっている。
固まっている枚方のそんな姿も可愛らしい。実習生の面倒も、なかなかいい時があるじゃないか。
「とりあえず、ついて来てくれ。」
俺は枚方に一声かけて、自分のデスクへと歩き出した。枚方は俺の後を、雛鳥みたいについてくる。
「これをワードでまとめて、10枚コピーをしてくれないか。明日の会議で使うから。」
「はい。」
枚方に手書きの紙を2枚渡して、パソコンを使えて空いてるデスクを教えて、俺は自分の作業に取り掛かった。実習生だけの面倒を見ている場合じゃないのだ。自分にもやらなければならない仕事もある。その一部を枚方にもやってもらうのだが。
−枚方 泉−
もう一時を過ぎている。
どうすんだよ、おい。字が汚くて、読み辛くて、まだ1枚しか出来ていって。はあぁぁぁ。マジ、帰りたい。
「…おい。」
「っはいぃ!?」
ため息をちょうどついたところで頭上から声が聞こえてきて、声が裏返って顔を真っ赤にして慌てて振り返った。布施さんが怖い顔をして…と言っても無表情なだけだけど…俺の真後ろに立っていた。
そりゃ誰だってびびるだろ。
「布施さんっ。すみません、まだ終わって…」
「いや、昼休みを忘れていた。すまん。腹減ってるか?」
「はぁ、まぁそれなりに。」
「食堂へ行くぞ。奢ってやる。」
俺の返事も聞かずに、布施さんはさっさと歩き出した。慌てて布施さんの後についていく。
食堂へ着くと、もう昼休みがだいぶ過ぎていたのか、食べている人は少なかった。
「定食が美味い。どれがいい。」
キョロキョロ見渡したけど、AからC定食まであって、どれがどんな定食というのがどこに書いてあるのか分からなかった。けれど布施さんを待たすとまた怖いと思い、俺は適当に答えた。そして後から後悔するんだけど。
「あ、A定食で、お願いします。」
「そこらへんに適当に座ってろ。」
肩身が重いなぁと思いながらも、俺は空いている席にちょこんと座った。しばらく待つと、布施さんが二つ定食をもってやってきた。
「あ…。」
目の前に置かれた俺のA定食は、大の苦手な納豆定食だった。やっぱりちゃんと確かめればよかったんだ…。
よ…よりによって、納豆定食なんて…。最悪じゃないか。ってゆーか、俺、納豆だけは絶対に駄目なのに。ううぅ〜。
あまりにも嫌すぎて、お箸で納豆をつついていると、そんな俺に布施さんが気付いてくれた。
「なっとう嫌いだったのか?」
「はぁ…。かなり…。」
「サンマは食べてるか?」
「はい…。好きです。」
「交換してやる。」
目の前にあった納豆定食が、サンマ定食にかわった。
「へっ!?えっ、あの…悪いですよ。ちゃんと見ないで決めた俺が悪いんですから!」
そうだ。確かにちゃんと確かめなかった俺が悪い。わざわざ布施さんに交換してもらうなんて。
「いいから。」
布施は別に嫌な顔もしないで、納豆定食を食べ始めた。
なんか布施さんが神様に見える。怖い人だと思っていたけど、いい人じゃないか。そんときの一瞬だけそう思った。黙々と食べている布施さんを見て、やっぱり怖いかも…と思い直したから。